使徒の働き3章11節~26節
「ペテロの証言」

 今年の年間聖句は、今、朗読した3章6節のみことばです。この言葉によって、生まれつき足の不自由な人が、踊り上がって立ち、そして、歩き出しました。歩きながら、神様を賛美したのです。
 人々は、非常に驚きました。その非常に驚いた人々に向かって、ペテロが言ったことが、12節から26節に記されています。ここで、ペテロは、大きく三つのことを言っています。まず、一つ目は、12節から16節までです。16節が、結論です。何が、この人を強くしたのでしょう?ペテロの力ですか?ペテロの敬虔さですか?いいえ、<イエスの名>です。私たちも、1節から10節までを読みました。元旦祈祷会は、この箇所からの説教でした。私たちも、この人が強くされて、完全からだになったのを見て、知っています。何が、この人を強くしたのでしょう?イエスの名です。
 たとえば、私たちを強くするのは、有名な牧師先生の力ではありません。その先生が、広く用いられていたとしても、私たちを強くするのは、その先生の敬虔さではないのです。イエスの名です。私たちの主の御名は、これほど、人を強くするのです。
 16節、その先に進みましょう。<イエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに・・・この人を強くしました。>イエスの名が、強くしたのですが、その名を信じる信仰のゆえに、です。私たちも、このような信仰を持ちたいと、願います。どうしたら良いでしょうか?続きをご覧ください。<イエスによって与えられる信仰が>とあります。イエスによって、です。信仰は、私たちの敬虔な行いによって、与えられるのではありません。イエスによって、です。信仰は、イエス様が与えてくださいます。その信仰が、この人を、このとおり完全なからだにしたのです。
 私たちにも、イエスの名が与えられています。その名を信じる信仰も、与えられています。イエスの名によって、信じて、祈りましょう。イエス様は、言われました。<まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。>(ヨハネ14:13-14)私たちが、求めても得られないのは、なぜでしょう?疑うからです。信じて、求めないからです。(ヤコブ1:6)または、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。(4:3)或いは、悔い改めていないからです。イザヤ書に、このようなみことばがあります。<見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。>(1:15)
 ペテロは、13節から15節で、人々が犯した罪を、知らせています。13節、14節、15節<いのちの君を殺したのです。>「いのちの君」、欄外には、別訳として「いのちの導き手」とあります。「いのちの源」とも訳すことができます。このようにして、イスラエルは皆で、いのちの君を殺したのです。私たちは、ユダヤ人ではありません。ユダヤ人ではない、異邦人たちです。そのような私たちも、ただ神様の恵みによって、“神の民”とされました。神の民という意味で、私たちも「イスラエルの全家」の一人とされているのです。ですから、13節から15節で知らされている罪は、私たちの罪でもあります。私たちは、いのちの君を殺したのです。アブラハム、イサク、ヤコブの神が、栄光をお与えになったイエス様を、引き渡し、ユダヤの総督だったポンティオ・ピラトが、釈放すると決めたのに、その面前で拒みました。私たち「イスラエルの全家」は、この聖なる方を拒んで、人殺しの男、バラバを赦免するように要求し、いのちの君を殺したのです。この咎が、私たちと、私たちの神様との仕切りとなっていないでしょうか?罪とは何でしょう?・キリストを信じないことです。・キリストの律法に従わないことです。・いのちの君、イエス・キリストを殺したことです。
 次に、二つ目です。二つ目のことは、17節から21節に記されています。ここでも、結論となる聖句を、最初に挙げておきたいと思います。19節です。私たちは、悔い改めて、バプテスマを受けました。「信じない」から、「信じる」に悔い改めて、イエス様を、罪と死からの救い主(キリスト)と信じて、洗礼を受けたのです。
 そのような私たちの罪を、御父はぬぐい去ってくださいました。何によって、ですか?イエス様の血によって、です。ですから、私たちは、すでに、父なる神様に立ち返っています。御父は、立ち返った私たちを、神の子としてくださり、愛し、喜んでくださっているのです。
 また、御父は、私たちが犯した罪を、知らせてくださいます。先週、今週は、どのような罪ですか?私たちは、「イスラエルの全家」の一人として、イエス様を十字架につけて殺した、という罪です。悔い改めましょう。その罪を告白し、赦しを求めるならば、御父は、イエス・キリストにあって、赦してくださいます。
 では、19節の前後を見てみましょう。17節、18節です。ここでは、<キリストの受難>の二つの面が、教えられています。“あなたがたが行った”、しかし“神は、このように実現された”ということです。(“あなたがたが、いのちの君を殺した”、しかし“神は、キリストの受難を、このように実現された”ということです。)
 17節をご覧ください。兄弟たちは、なぜ<あのような行い>、つまり、いのちの君を殺したのでしょう?無知のために、でした。無知のために、主とも、キリストともされたイエス様を、十字架につけたのです。しかし、18節です。神様は、何を実現されたのでしょう?預言の通りに、キリストの受難という“みこころ”を、実現されたのです。
 ここに、私たちの平安があります。私たちも、無知のために、罪を犯すことがあります。しかし、神様は、そのようにして“みこころ”を、実現されるということです。驚くほどの、神様の偉大さ、です。私たちの義の行いだけではない、なんと、無知のために犯した罪によっても、“みこころ”を実現されるのです。
 ですから、19節です。<ですから、悔い改めて>です。無知のために犯した罪であっても、無罪ではありません。そのことで、神様が“みこころ”を実現されても、罪は、罪として残ります。しかし、悔い改めれば、ぬぐい去られるのです。そうして、19節の後です。:20、21(読む)主は、イエス・キリストを、再び遣わしてくださいます。(再臨です。)それは、誰のために、ですか?“あなたがた”のためにです。どのような“あなたがた”か?19節の通りに、悔い改めて、神に立ち返り、罪をぬぐい去らせていただいた“あなたがた”のために、です。
 では、再臨は、いつなのでしょう?回復の時、万物が改まる時です。回復の時、万物が改まる時が、どのようであるのかは、聖書の様々な所で預言されています。たとえば、皆さんは、どのようなみことばを思い浮かべますか?色々ありますが、最近では、2章の34節、35節でしょうか。(二重の鍵括弧です)『主は、私の主に言われた(言い換えると)「神は、イエスに言われた。イエスは、神の右の座に着いていなさい。神が、イエスの敵を イエスの足台とするまで。」
 回復の時、万物の改まる時とは、イエス様の敵が、永遠に滅び去る時です。イエス様の敵とは、誰でしょう?(どのような存在でしょう?)まず、死です。ですから、万物が、回復し、改まる、“新しい天、新しい地”(新天新地)では、死はありません。また、イエス様の敵とは、悪魔(サタン)と、その手下どもです。悪魔(サタン)と、その手下どもも、その時には、永遠に滅ぼされ、新天新地にはいません。死と、悪魔(サタン)が、イエス様の敵であることは聖書全体が教えています。では、このペテロの説教の中で、考えてみましょう。36節以降です。神様が、イエス様の足台とする、イエス様の敵とは、誰ですか?「イスラエルの全家」の一人とされたにもかかわらず、イエス様を、十字架につけたことを、悔い改めない人々です。
 36節で、このように、悔い改めを迫ったペテロは、同じ悔い改めを、今日の箇所でも、勧めています。「あなたがたは、いのちの君を殺したのです。」ですから、19節です。<ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。>私たちは、すでに、バプテスマ(洗礼)を受けました。洗礼を受け、(神の民)イスラエルの一人とされ、このように(聖書)神のことばも、私たちの手にあります。ですから、このことを、はっきりと知って、悔い改めましょう。私たちが、主であり、キリストであられるイエス様を、十字架につけて、殺したのです。
 もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神様は、真実で、正しいお方ですから、その罪を赦してくださいます。そして、回復の時、万物が改める時には、そのような私たちのために、主は、イエス様を、遣わしてくださるのです。
 では、三つ目です。三つ目は、22節から26節までです。ここでも、まず、結論から読みます。:26(読む)、後半を、もう一度読みます。<その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。><その方>とは、どなたですか?イエス様です。イエス様が、私たち一人ひとりを、悪から立ち返らせてくださいます。
 私たちは、先週、今週と、主から、「悪から立ち返ること」、つまり、「悔い改め」を、命じられました。しかし、私たちの中には、「悔い改めることが出来ずにいる」という人は、いないでしょうか?“自分が、この手で、イエス様を、十字架につけて殺した”ということを、はっきりと知り、心を刺されて、その罪を告白し、赦していただきたいと、願っているけれども、分からない、心を刺されることもない、だから、悔い改めることが出来ない、という人はいませんか?どうしたら良いでしょう?イエス様が、悪から立ち返らせてくださる、悔い改めることができるようにしてくださいます。そして、祝福にあずからせてくださるのです。
 22節に、モーセが、登場します。最大の預言者です。また、24節には、サムエルが出て来ます。最初の預言者です。最大の預言者、モーセが言ったことが、22節、23節に記されています。私たちは、「その預言者」が、どなたかを知っています。イエス様です。22節の3行目に、<彼が>とあります。この彼と、23節の<その預言者>、この二ヶ所を、「イエス様」にして、読んでみます。「イエス様が、あなたがたに、告げることすべてに、聞き従わなければならない。イエス様に、聞き従わない者はだれでも、自分の民から、つまり、神の民(イスラエル)から断ち切られる。」
 また、サムエルです。最初の預言者(サムエル)も、彼に続いて語った預言者もみな、告げ知らせたことは、このことでした。25節の2行目の下の方です。<『あなたの子孫>、この“あなたの子孫”とは、誰ですか?イエス様です。(入れ替えて、読みます。)イエス様によって、地のすべての民族は、祝福を受けるようになる。
 結論です。イエス様こそが、私たち一人ひとりを、悪から立ち返らせ、祝福にあずからせてくださるのです。その証拠としての奇跡が、何だったのでしょう?生まれつき足の不自由な人が、立ち上がり、たちまち、歩いたり、飛び跳ねたりしながら、神様を賛美しつつ、宮に入って行った、という出来事だったのです。何によって、ですか?ナザレのイエス・キリストの御名によって、です。