教会歴では、来週から待降節(アドベント)に入ります。待降節、そしてクリスマスです。クリスマスでは、人として来られたイエス・キリストを記念します。そのようなクリスマスを待ちながら、「御父が、御子を遣わされたことが、どんなに素晴らしい愛であるのか」を、考えながら過ごすのが、待降節(アドベント)です。
イエス・キリストのお誕生は、預言の成就でした。(みことばが、実現したものでした。)その預言の中から、「インマヌエルの四説教」と呼ばれる、イザヤ書の7章から12章を、共に学びたいと思います。インマヌエルというのは、「神が私たちと共におられる」という意味で、のちに、お生まれになったイエス様が、そのように呼ばれるようになりました。
では、7章を見てみましょう。1節には、いつのことであったのかが示されています。当時、アッシリアという国が、その支配を広げていました。そのアッシリアの脅威(おびやかし)によって、二つの国、アラムとイスラエルは、“防衛同盟”の関係へと入ります。二つの国は、さらにユダにも、その同盟に入るようにと、強います。しかし、ユダは、入りません。そこで、どうしたか?二つの国は、軍事力によって、強引に入れようとしたのです(ユダに侵攻しました)。そのことが、1節に記されていることです。1節の終わりの所だけを読みます。<・・・戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。>
このような状況を理解しながら、次の2節です。<ダビデの家に>とあります。ダビデの家というのは、“ユダの王アハズの家”ことです。ここで、“ダビデの家”とは、何であるのかを、整理しておきましょう。ダビデというのは、イスラエルの王でした。しかし、そのイスラエルは、ダビデの子であるソロモンまでは一つでしたが、ソロモンの次には、北王国と、南王国に、分かれてしまいます。それが、イスラエルと、ユダです。分裂後、ダビデの子(子孫)は、どちらの王となって行きますか?ユダの王となって行きます。ですから、今日の箇所に出て来るアハズも、ダビデの子です。
では、なぜ、ダビデの子が、それほど重要なのでしょう?それは、主が、ダビデに言われた、このような契約があったからです。第二サムエル記の7章を開いてみましょう。7章の11節後半から、17節までを読みます。主は、このようにダビデに約束してくださいました。(「ダビデ契約」と呼ばれます。)この契約によって、イスラエルは、ダビデの身から出る“とこしえの王”を期待したのです。(ダビデの子であって、なおかつ神の子である“とこしえの王”、メシアが、現れてくださることを、待ち望んだのです。)
では、2節にもどります。そのようなダビデの家に、<「アラムとエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。>とあります。エフライムというのは、イスラエルのことです。アラムと、エフライム(イスラエル)が、再び組んだのです。この知らせは、また侵攻が行われる、という知らせです。エルサレムを攻めきれなかった、アラムとエフライムは、再びダビデの家に攻め入ろうとしていました。
そのような知らせがもたらされて、ダビデの家は、どうしたでしょう?2節の後半<王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ>とあります。神である主に、信頼していたならば、揺らぐことはなかったはずです。しかし、ダビデの子である王の心も、その民の心も、これほどまでに、揺らいだのです。