イエス・キリストは、よみがえられました。よみがえられただけではなく、私たち一人一人に現れてくださいました。私たちは、そのような主を喜んでいます。復活された主は、どのようなお方であられるのか?今日の聖書箇所から、ともに教えられましょう。
まず、28節、29節をご覧ください。:28、29(読む)このようにイエス様は、「見ないで信じる人たちは幸いです」と言われました。皆さん、どうでしょう?「見ないで信じる人たちは幸いだ」と確信していますか?むしろ逆で、“「見たから信じた」という方が、幸いではないか”と思っていませんか?イエス様を見ないで、「私の主、私の神」と信じる人たちは、幸いです。
今日の聖書箇所全体を読むと、「見ないで信じる人たちは幸いです」ということが、一貫して教えられていることが分かります。まず、1節から10節です。ここでは、マグダラのマリアと、二人の弟子たちが、どのようにお墓を見たのかが記されています。:8~10(読む)ここでは、“見て、信じた”とあります。
次の、11節から18節です。ここには、マグダラのマリアが、どのようにして、“主を見た”のかが記されています。18節です。<マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い>とあります。
また、19節から23節も同じです。20節だけを読みます。<こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ>脇腹というのは、兵士が槍で突き刺した脇腹のことです。弟子たちは、このように、見たから信じて、喜びました。
そして、24節から29節です。トマスです。トマスは、このように言いました。:25(読む)“見たら”から、さらに、“指を入れ、手を入れたら”信じるということでしょう。聖書は、このように、“見たから”信じた人々を記しながら、最後に、イエス様が言われたことを教えています。それが、29節です。イエス様は、言われました。「わたしを、見ないで信じる人たちは、幸いです。」