使徒の働き4章1節~22節
「議場での証言」

 22節です。<四十歳を過ぎていた。>四十歳を過ぎていたのですね。このしるしによって癒された人というのは、3章の2節から記されていた人のことです。振り返ってみましょう。あらためて1節から10節を読みます。:1~10(読む)この人のことです。この人が四十歳を過ぎていました。ですから、四十年以上、足が不自由だったということですね。その彼が、躍り上がって立ち、歩き出したのです。何によって、ですか?イエス・キリストの名によって、です。それだけではありませんでした。歩き出して、どうしたのでしょう?8節です。<躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。>宮に入って行き、祈ったのでしょう。
 この出来事に、人々は驚きました。10節の終わりに、このようにあります。<ものも言えないほど驚いた。>私たちも、この出来事に、驚きたいと思います。この人が、「四十歳を過ぎていた」ということにも、です。子どもではない、若者でもない、四十歳を過ぎていた人が癒されたのです。私たちは、すでに、この出来事が“しるし”であることを知っています。ですから、(10節の人々とは、違った意味で、ですが)驚きたいと思います。
 10節に、<宮の美しの門の所で>という説明があります。この門の名前は、すでに2節で、出て来ていました。2節、かぎかっこで、「美しの門」とあります。なぜ、「美しの門」と呼ばれていたのか?『新聖書辞典』には、このような説明があります。「他の門より、値打ちのある分厚い金、銀と、コリント真鍮で飾られ、壮麗を極めていた。(これ以上ないほど、大きく、美しく、立派だった、ということです)」この人は施しを求めるために、そのような門に毎日置いてもらっていたのです。毎日置いてもらっていましたが、宮に入る人たちの施しが、彼を治すことはありませんでした。毎日置いてもらいましたが、宮の金、銀、真鍮の「美しの門」も、彼を救うことはなかったのです。ですから、ペテロは言いました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」私たちは、「ナザレのイエス・キリストの名」に、ものも言えないほど驚きたいと思います。
 ペテロは、非常に驚いた人々に、言いました。それが、先週の箇所です。12節から26節でした。ここで、ペテロは、イエスの名が、どのような名であるのかを教えています。今日は、そのことだけを、順に一つ一つ挙げていきます。皆さん、聞いてください。・イエスの名は、神が、栄光をお与えになった名です。・イエスの名は、聖なる正しい名です。・イエスの名は、神が、死者の中からよみがえらせた名です。・イエスの名は、足の不自由な人を、完全なからだにしました。・イエスの名によって、信仰は与えられます。・イエスの名は、私たちの「キリスト」の名です。・イエスの名は、私たちの罪をぬぐい去ります。・イエスの名は、回復の時が来て、主が遣わしてくださるキリストの名です。・イエスの名は、モーセが、「その告げることすべてに聞き従わなければならない」と言った預言者の名です。・イエスの名は、サムエルたちが、「地のすべての民族は祝福を受けるようになる」と言ったアブラハムの子孫の名です。・イエスの名は、私たち一人ひとりを、悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださる名です。そのような名が、ペテロだけではない、私たち教会に、与えられているのです。
 そして、今日の箇所です。4章の1節です。<ペテロとヨハネが民に話していると>と始まります。ペテロとヨハネは、このとき、どこで話していたのでしょう?「ソロモンの回廊」です。3章の11節でした。この「ソロモンの回廊」は、エルサレムの宮の東側に沿ってありました。ですから、4章の1節にもどりましょう。<ペテロとヨハネが民に話していると>・<祭司たち>、宮で奉仕をしている祭司たちです。・また、<宮の守衛長>、非常に驚いた人々が、みな一斉に駆け寄って集まっていましたので、守衛長もやって来ました。守衛長というのは、警視総監に当たる立場で、大祭司に次ぐ地位の人です。
 ・そして、サドカイ人たち、この“サドカイ人”というのは、「ユダヤ教の“サドカイ派”の人々」のことです。彼らは、祭司たちの家系に連なる、裕福な上流階級の人たちでした。(少し、その背景を説明します。)当時の大祭司と、祭司たちは、すでに、アロンの家系ではなくなっていました。アロンの家系は途絶え、当時は、裕福な上流階級から選ばれていたようです。そのようなサドカイ人たちが、宗教と政治において、指導的な立場にいました。彼らには、「宮の秩序を乱した」という理由で、逮捕する権限もあった、と言われています。ですから、彼らは、2節、3節です。このように、二人に手をかけて、捕らえました。なぜでしょう?イエス様を例にあげて、死者の中からの復活を、宣べ伝えていたからです。
 <苛立ち>とあります。サドカイ人たちは、復活を信じていませんでした(マタイ22:23)。サドカイ人たちの神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神でした。特に、モーセの口を通して語られた“神のことば”の権威を、認めていました。それにも関わらず、復活を否定していたのです。このようにして、1節から3節に記されているように、ペテロと、ヨハネは、捕らえられ、留置されてしまいます。しかし、どうなったでしょう?:4(読む)ペテロと、ヨハネは、宗教的、政治的指導者たちに、捕らえられました。彼らが、捕らえたのは、脅しでもあったでしょう。しかし、大勢の人々が、恐れることなく信じました。二人が、“イエス様を例に挙げて”教えた、“死者の中からの復活”を信じたのです。これが、証言の力です。

 その翌日、二人は、このような尋問を受けました。:5~7(読む)少し、想像してみましょう。7節に<彼らは二人を真ん中に立たせて>とあります。彼らは、どのような人々だったのでしょう?・民の指導者たち(おそらく祭司たちです)、・また、長老たち(その多くはサドカイ人の家長たち、家族の長たちで、指導者たちでもありました)、・また、律法学者たちでした。そして、・大祭司の一族です。この時の大祭司は、カヤパでした。(6節の、二番目です。)その前のアンナスは、すでに、ローマ帝国によって解任されていましたが、なお絶大な権力者だったようです。ですから、大祭司という呼び名も、そのままです。民の指導者たちを始め、大祭司の一族みなが、出席しました。15節に、議場とあります。ですから、これはサンヘドリン(最高法院)です。人数は、71名、そのような彼らが、二人を真ん中に立たせて、尋問したのです。
 そのとき、ペテロはどうしたでしょう?8節<そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。>ペテロは、聖霊に満たされて、力を受けて、証人として言ったのです。ペテロは、すでに、聖霊を受けていました。その聖霊なる神様が、このような状況の中でも“証言できる力”を、ペテロに与えてくださったのです。その証言が、8節から12節に記されています。12節だけを読みます。:12(読む)救いとは、何でしょう?「死者の中からの復活」です。2節、でした。このように二人は、イエス様を例にあげて「死者の中からの復活」を、宣べ伝えていました。救いとは、「神様が、私たちを、イエス様のように、復活させてくださる」ということです。
 では、いつ、よみがえるのでしょう?すぐ上の20節をご覧ください(3章の20節です)。読みます。<そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださるのです。>このときに、私たちは、よみがえるのです。あの足の不自由な人が治ったのは、救いのしるしでも、ありました。私たちは、“栄光のからだ”で、よみがえります。不自由のない、病気やけがのない、老いも死もない、栄光のからだでよみがえり、そして、全ての聖徒たちと共に、神様を賛美し、主を礼拝するのです。
 では、どのように、救われるのでしょう?あの足の不自由な人が治った、イエス・キリストの名によって救われるのです。私たちイスラエルが、十字架につけ、しかし、神様が、よみがえらせたイエス・キリストの名によってです。私たちに捨てられ、しかし、神様が、要の石とされた、イエス・キリストによって救われるのです。もう一度、12節を読みます。:12(読む)
 このペテロの証言を聞いて、最高法院の人たちは、どうしたでしょう?彼らは、13節、・ペテロとヨハネの大胆さ、最高法院での“確信に満ちた大胆さ”を見ました。・また、二人が無学で普通の人、ユダヤ教の神学や、修辞学の訓練も受けていないことを知りました。・また、二人が、イエス様と共にいたことも、分かって来ていました。・そして、14節、癒された人が、二人と一緒に立っているのを見たのです。・さらに、最高法院は、「しるし」を、否定しようもありませんでした。:16(読む)
 それで、どうしたのでしょう?イエスの名を、信じたのでしょうか?いいえ、イエスの名によって、語ることも、教えることも、一切禁止としたのです。このようなことが、起こりました。ペテロと、ヨハネが、証言したのは、イスラエルの最高法院です。しかし、彼らは、・証言を聞いても、・証人を知っても、・否定しようもない「しるし」を見ても、イエス様が、キリストであられることを、信じることはなかったのです。
 イエス様は、あらかじめ、おっしゃいました。ルカの福音書21章15節です。:10~19(読む)15節で、イエス様は、このように言われました。:15(読む)このみことばの通りに、イエス様は、ペテロに、“ことば”と“知恵”をお与えになったのです。
 今日の箇所にもどりましょう。使徒の働き4章18節です。:18(読む)このように、最高法院は、二人を脅しました。しかし、二人は、:19、20(読む)神の御前に正しいこと、とは何でしょう?神様に、聞き従うことです。それは、具体的には、自分たちが見たことや聞いたことを話すことです。イエス様は、このようにも、言われました。マタイ10章16節から22節です。:16~22(読む)20節を、もう一度読みます。「話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。」私たちにも、自分たちが見たことや、聞いたことがあります。御霊は、私たちのうちにあって、私たちが見たイエス・キリストを、聞いたイエス・キリストを話されるのです。そのようにして御霊は、私たちを神様に従わせ、神の御前に正しいことをさせてくださいます。御霊に満たされましょう。御霊に満たされて、証言すれば、ペテロたちのように脅されることもあります。憎まれることもあるでしょう。しかし、最後まで、耐え忍ぶ人は救われるのです。