この手紙で、ヨハネが伝えたいことは、何でしょう?いのちです。永遠のいのちです。:1、2(読む)この手紙には、この手紙を書いた人の名前が、記されていません。伝統的には、使徒ヨハネとされています。この書の名前も「ヨハネの手紙第一」となっていますが、これは聖書そのものではありません。のちに付けられたものです。ですが、ヨハネでしょう。ですから、この説教でもヨハネとして、お話しします。
あらためて、確認します。この手紙で、ヨハネが伝えていること、それは、いのち(永遠のいのち)です。1節の最後のところをご覧ください。<すなわち、いのちのことばについて。>とあります。ヨハネが、この手紙で記しているのは、“いのちのことば”についてです。いのちのことば、いのちについてのことば、いのちを与えることばです。
これは、どのようなものなのかが、1節では説明されています。順に、見てみましょう。初めからあったもの、いのちのことばは、初めから、初めに、神様が天と地を創造された、その初めには、すでにあったのです。次に、私たちが聞いたもの、ヨハネたちが聞くことができたのは、2節です。<このいのちが現れました。>とあります。“いのち”が現れたので、ヨハネたちは、その“いのちのことば”を、聞くことができました。 次、自分の目で見たもの、さらに、じっと見つめ、とあります。ヨハネは、“いのちのことば”を知ろうと、じっと見つめました。そして、自分の手で触ったもの、ヨハネは、真っ暗な中で、手探りで見つけるようとして、さわったのです。そのような“いのちのことば”について、ヨハネは、この手紙で伝えています。
私自身も、そうです。学生時代の私は、心が渇いていました。(カラカラでした。)そのような私に、イエス様は、大きな声で言われたのです。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37-28)聖書のことばです。この手紙を書いたヨハネは、“いのちのことば”を、肉声で、実際に聞きました。私は、違います。聖書のことばによって、聖霊様が、語りかけてくださいました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」飲みたい、と思いました。聖書には、続いて、このようにあります。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」私の心の奥底からも、生ける水の川が、流れ出るようになりました。生ける水、いのちの御霊が、いのちが、流れ出るようになったのです。それで、私も、このように皆さんに、伝えているのです。
2節、<このいのちが現れました。>このいのちというのは、イエス・キリストです。ですから、ヨハネたちは、じっと見つめ、自分の手でさわることができたのです。この“いのち”は、どなたと、ともにありましたか?<御父とともにあり>、御父というのは、神様のことです。このことばは、神様を、御父とする、つまり、御子でした。御子が、人となって、現れてくださったのです。御子イエス・キリストこそ、永遠のいのちです。