今、私たちは、聖書の朗読を聞きました。これが、キリストの教会が誕生して、最初になされた説教です。今日は、この説教から学びますが、その前に、説教とは何か?ということを知っておきましょう。なぜなら、五旬節の日に誕生したキリストの教会が、すぐに行ったことが、宣教と説教だったらです。
宣教と、説教です。宣教については、2章の4節から13節に記されています。:4(読む)他国のいろいろなことばで、様々な外国語で、何を話し始めたのでしょう?神の大きなみわざでした。11節に、このようにあります。誕生した教会が、すぐに始めたことは、宣教でした。この出来事は、教会の使命が、宣教であることの“しるし”です。この日、誕生した教会は、主が、またおいでになる時まで、あらゆる国々に、その国の言葉で、神の大きなみわざを語り続けます。
また、宣教に続き、誕生した教会が、すぐに行ったのは、説教でした。それが、今日の箇所です。宣教と、説教は、教会が、最優先にすべき使命です。ですから、説教とは何か?ということを、ともに知っておきましょう。
まず、説教とは、使徒たちの教えを、教えることです。14節をご覧ください。<ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた>とあります。ともに立ったことは、この説教が、使徒たちの権威によって、使徒たちの教えが語られたことを示しています。また、42節をご覧ください。ここには、教会の様子が記されています。<彼らはいつも、使徒たちの教えを守り>とあります。ですから、説教とは、使徒たちの教えを、教えることです。さらに言えば、使徒たちの教えを、守るように教えることです。ですから、教会は、使徒たちの教えではない教えが、入り込まないようにしなければなりません。
次に、説教は、そこに集まって来た人々に語られる、ということです。5節、6節をご覧ください。:5、6(読む)このような人々に対して、ペテロは語ったのです。このペテロの説教は、旧約聖書が三ヶ所も引用され、「あなたがた」との呼びかけが何度もあり、「イエスを、律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺した」と の指摘があり、ダビデを、父祖と呼んでいる、それは、そこに集まっていたのが、大勢のユダヤ人たちだったからです。今は、出版されている説教集もありますし、説教を動画で見ることもできます。私自身も、そのようなものから、教えられたり、励まされています。しかし、それは、説教そのものではない、説教というのは、そこに集まって来た人々に対して、語られるものだからです。
また、説教は、預言である、ということです。このことは、ペテロの説教の内容を見ながら、学びたいと思います。