使徒の働き1章15節~26節
「使徒の補充」

 先週は、三つのことをお伝えしました。
 まず第一に、宣教はイエス様が始められ完了される、ということです。1章の1節をご覧ください。:1(読む)このように、イエス様が行い始め、また教え始められたのです。では、いつ完了するのでしょう?それは、11節でした。:11(読む)宣教が完了するのは、イエス様が、またおいでになるときです。皆さん、宣教には、完了するときが来る、ということです。宣教の労苦は、いつまでも続きません、また完了しないで終わることもないのです。
 第二に、イエス様の宣教は聖霊によってなされる、ということでした。2節をご覧ください。:2(読む)このように、聖霊によって命じられ、天に上(あ)げられ、御父からの聖霊を注いでくださいました。次の2章ですが、33節でこのように教えられています。:33(読む)
 第三に、私たちは、何をしたら良いのか?ということでした。使徒たちは、聖霊を求めました。イエス様が、このように命じられたからです。1章にもどります。:4、5(読む)ですから、使徒たちは、待ったのです。聖霊を求めて、祈りました。14節です。:14(読む)このように、いつも心を一つにして祈っていました。私たちが、すべきことも同じです。まず、すべきことは、みことばの約束を待つということです。(みことばの約束を、です。)使徒パウロは、<御霊に満たされなさい>と命じました(エペソ゚5:18)。御父は、御霊に満たしてくださいます。ですから、私たちも、御霊の満たしを、しつこく求めましょう、ともに、いつも心を一つにして、祈りましょう、御父は良いお方ですから、必ず満たしてくださいます。
 使徒たちは、14節のように祈っていました。<そのころ>と、15節に続きます。2章の1節<五旬節の日になって>ではありませんでした。このようでは、なかった、ということです。「1章の14節のように祈っていると、五旬節の日になって、皆が聖霊に満たされた」のでは、なかったのです。その前に、使徒たちは、何をしましたか?使徒職の補充をしました。ユダが離れてしまったので、マッティアが加えられました。そして、五旬節の日になって、聖霊が注がれたのです。
 あらためて整理します。イエス様は、父の約束を待つようにと命じられました。ですから、使徒たちは、聖霊が与えられることを、祈り求めたのです。しかし、祈っていた使徒たちに、聖霊が注がれたのではありませんでした。祈っていた、そのころ、使徒職の補充をした使徒たち皆が、聖霊に満たされたのです。このことから、どのようなことを教えられますか?まず、「祈っていると、父の約束を待っている間に、何をすべきなのかが分かった」ということです。イエス様は、待ちなさい、と命じられました。命じられた使徒たちは、自分たちからも、積極的に、聖霊は臨まれることを、祈りました。そのころ、です。祈ることだけではない、聖霊が臨まれる前に、もう一つ、自分たちが、何をすべきなのかが、分かったのです。それが、使徒職の補充でした。
 イエス様は、最初から、使徒職の補充をお命じになっていません。父の約束を待ちなさい、とだけ命じられました。その約束の通りになることを、使徒たちも自ら願い、進んで求め続けたときに、今、使徒の補充をすることが、みこころだということが分かったのです。私たちは、逆のことをします。自分たちにとって、しなければならないことがあって、そのことのために祈る、ということをします。(先に、したいことがあって、そのために、願うことを祈る。)逆です。使徒たちに学ぶならば、主からみことばをいただき、そのみことばの通りになることを、自らも願い、祈り求めます。祈っていると、その前に、しなければならないことが分かる。そのことに取り組み、終えたときに、みことばの通りになるということです。
 次に、教えられることは、ペテロが、言った、ということです。15節です。:15(読む)ペテロが、言いました。そのペテロが、言ったことが、16節から、22節に記されています。なぜ、ペテロなのでしょう?イエス様は、このように言われました。<あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を立てます。>(マタイ16:18)ですから、ペテロです。イエス様は、ペテロを通して、教えられました。
 2章の1節から、五旬節の日のことが記されています。教会は、この日を“キリストの教会が誕生した日”としてきました。教会は、イエス様の教会です。その教会をお立てになるのは、イエス様ご自身です。そのイエス様が、教会が誕生する前に、しておくべきことを教えられました。誰を通してか?ご自身が、「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を立てます」と言われたペテロを通してだったのです。
 ですから、皆が、聖霊に満たされた後も、2章の14節をご覧ください。 <ペテロは十一人とともに立って>とあります。十一人とともに、つまり、使徒たちの代表として、ということです。イエス様は、使徒たちの上に、ご自身の教会をお立てになりました。その代表が、ペテロです。(ですから、ペテロを通して)このことは、こんにちの教会にも適用することができます。エペソ人への手紙の4章を開いてみましょう。:11~13(読む)13節をご覧ください。これが、キリストの教会の最終ゴールです。もう一度、読みます。:13(読む)これが、キリストの教会の完成した姿です。そのために、キリストが、わざわざご自身で、お立てになったのが、使徒たち、そして、牧師また教師たちなのです。12節には、その目的が、教えられています。<それは、聖徒たちを整えて>ですから、聖徒たち皆さんを、キリストは、どのように整えられるのでしょう?ご自身がお立てになった、牧師また教師たちを通して、整えられるのです。
 では、使徒の働きにもどりましょう。(1章です)ですから、この時、キリストは、使徒ペテロを通して、百二十人ほどの聖徒たちを整えられたのです。この時、聖徒たちには、整えられなければならない、具体的な課題がありました。何でしょう?それは、ユダのことです。16節<兄弟たち。イエスを捕えた者たちを手引きしたユダについては>とあります。そのユダは、17節をご覧ください。<ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。>使徒たちの一人だったのです。そのようなユダが、イエス様を裏切り、その不義の報酬で、18節です。:18、19(読む)どうしたら良いのでしょう?
 聖徒たちは、整えられる必要がありました。そのような聖徒たちを、キリストご自身が、お立てになった使徒を通して、整えられたのです。何によって、ですか?聖霊が語った、聖書のことばによってです。詩篇に書いてあることを、適用することによってです。:16(読む)、:20(読む)このように、使徒ペテロは、聖書のことばによって、整えたのです。
 こんにちの教会でも、同じようなことが起こります。主イエス・キリストへの裏切りです。私たちの仲間であった牧師また教師が、或いは、一緒に奉仕をしてきた兄弟、姉妹が、主を裏切るのです。そのような時、キリストは、聖徒たちを、整えてくださいます。何によって、ですか?聖霊が語った、聖書のことばによってです。みことばの適用によってです。ペテロは、ユダの裏切りを、聖書のみことばの成就として理解することを、勧めます。そして、詩篇のみことばを適用し、自分たちが、今、すべきことが何であるのかを教えたのです。:21、22(読む)そこで彼らは、ペテロが示した条件に従って、二人を立てました。そして、こう祈ります。:24(読む)主は、すべての人の心をご存じです。ペテロが示した条件を、改めて見てみましょう。彼らは、この条件に合い、さらに、“心から”であることを願ったのです。・心から、いつも行動をともにした人。・心から、ともにイエスの復活の証人となる人。そのように願いましたが、心をご存じであるのは主だけです。ですから、祈りました。
 私たちも、です。週報の報告にもあるように、これから、新年度に向けて、退任した奉仕者、そのあとに、新しい奉仕者が立てられていきます。それぞれの奉仕には、そのための条件があります。条件に合い、さらに条件に合うだけではなく、心からの(心も相応しい)奉仕者を、主がお選びになり、示してくださるように、祈りましょう。
 続いて、祈りの後半です。:25(読む)ユダは、なぜ、イエス様を裏切り、離れてしまったのでしょう?自分の場所へ行くために、とあります。イエス様は、ユダを、十二人の一人として、お選びになりました(ヨハネ6:70-71)。しかし、主の道を歩むことは、ありませんでした。主や、他の使徒たちと、行動をともにしながらも、自分の道を歩んだのです。自分の場所へ行くためです。ユダは、使徒職を離れ、自分の場所に着きます、そこは、「血の地所」でした。
 これは、私たちへの警告(戒め)でもあります。このように礼拝を、ともにお献げしながらも、主の道ではなく、自分の道を歩んでいる人はいないでしょうか?(心から従っているのは、イエス様ではない、実は自分自身だ、という人はいないでしょうか?)今は、私たちの仲間として数えられていても、自分の道を進むならば、私たちから離れて、自分の場所へと行き着くでしょう。そこは、「血の地所」、住む者が絶えるところです。