使徒の働き4章23節~31節
「神のことばを大胆に語る」

 31節を、ご覧ください。<彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き>とあります。揺れ動いたのは、神様が、彼らの祈りを、お聞きくださったことの“しるし”です。続きに、このようにあります。<一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。>これは、何でしょう?このことこそ、彼らが、神様に向かって声を上げ、願ったことでした。主は、彼らが求めた通りに、してくださったのです。
 私たちの祈りは、どうでしょうか?私たちも、このような祈りを献げたいと、心から願います。では、使徒たちは、どのような祈りを献げたのか、見てみましょう。
 :23(読む)<さて、釈放された二人は>とあります。どこから釈放されたのでしょう?最高法院(サンヘドリン)からでした。21節をご覧ください。彼ら、というのは、最高法院です。彼らは、二人を罰したかったようです。ですが、罰する術がなかったので、さらに脅したうえで、釈放しました。
 “さらに”、です。すでに、17節、18節で脅していました。このように、二人は、「イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない」と、脅され、命じられ、さらに、脅されたうえで、釈放されたのです。誰に、ですか?最高法院に、です。イエス様を、捕らえ、尋問し、ローマの手によって十字架にかけたのも最高法院でした。(つい、先日のことです)二人は、そのイエス様の弟子たちです。
 二人は釈放されて、どうしたでしょう?<仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。>二人には、仲間がいました。どのような仲間でしょう?それを聞いて、神様に祈ってくれる仲間たちがいました。24節をご覧ください。<これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげた。>ここにも、御霊に満たされた教会の姿があります。釈放された二人は、仲間に残らず報告し、それを聞いた仲間たちは、心を一つにして、神様に祈りました。
 何を祈ったのでしょう?24節の鍵括弧から、読みます。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。」このように、「主よ」と呼び掛けました。そして、主がどのようなお方であられるのかを告白したのです。今、ペテロとヨハネは、釈放されたばかりです。捕らえられ、最高法院に、尋問され、脅され、最高法院は、罰する術がなかったので、さらに脅したうえで、釈放しました。ユダヤ人の中で、最も強い権力を握っていたのが、最高法院です。いつ、再び捕らえられるか、分かりません。その時は、厳しく罰せられるかもしれません。
 そのような状況の中で、まず初めに、使徒たちは何を祈ったのでしょう?私たちの主は、どなたであり、どのようなお方なのかを、覚え、告白したのです。<主>という言葉には、権力者、所有者という意味が含まれています。私たちにとって、最も権力があるのは、最高法院ではありません。天と、地と、海、また、それらの中の全てのものを造られたお方です。ですから、最高法院を(この世の権力を)恐れてはなりません。私たちの主は、全てのものを造られ、支配しておられるお方だからです。
 では、次です。25節から28節まで、です。使徒たちは、何を、どのように祈っているのでしょう?まず、ある出来事がありました。それは、どのような出来事でしたか?最高法院と群衆たちは、イエス様を十字架につけることを、要求しました。領主であったヘロデ、最終的にはローマの総督であったピラトが、その要求どおりにすることに決めたのです。そして、引き渡しました。
 そのようにして、異邦人であるローマや、イスラエルの民は、油を注がれた者、つまり、キリストであられるイエス様を十字架につけたのです。そのような出来事が、ありました。使徒たちは、それを、みことばによって、理解しようとしたのです。起こったことを、みことばによって、解釈しようとしました。25節、26節に記されています。これは、詩篇のみことばです。このみことばによって、起こったことを解釈しました。どのように解釈したのかは、27節、28節に記されています。
 このような姿勢は、ユダのことについても、同じでした。1章の16節です。仲間であったユダが、イエス様と仲間たちを、裏切りました。使徒たちは、そのことを、どのように受け止め、理解したのでしょう?聖書のことばによって、解釈したのです。このようなことも、聖霊なる神様のお働きです。教会では、様々なことがあります。御霊は、教会で起こったことを、聖書のことばによって解釈することが出来るように、助けてくださいます。私たちが、すべきことは、そのような御霊の助けを、求めるということです。
 使徒たちは、普段から、そのようにしていました。祈りにおいても、です。今日の箇所にもどりましょう。4章の25節から27節です。ですから、この25節から27節の祈りは、24節からの祈りであり、また、28節から30節につながる祈りであることが分かります。
 まず、24節からの祈りです。24節では、「主は、どなたなのか」との告白がありました。どなたが、最高権力者なのか、ということです。「最高法院ではない、主だ」との告白でした。さらに、25節から28節では、「領主でも、ローマの総督でもない、主よ、あなたです」との告白です。念のために、ですが、最高法院と、ローマの総督は、どちらが上ですか?ローマです。ユダヤは、ローマの属州でした。しかし、そのローマでさえも、主が定められていたことを、行ったに過ぎなかったのです。
 また、25節から27節の祈りは、28節から30節に続きます。使徒たちは、「ヘロデと、ピラトでさえも、主が定められていたことを、行ったに過ぎない」ということを、悟りました。そして、「主のみことばを、大胆に語らせてください」と願ったのです。また、「イエスの名によって、癒しと、しるしと、不思議を、行わせてください」と願いました。つまり、なんですか?「主のみこころを、行わせてください」と祈ったのです。主のみこころは、“聖霊が、使徒たちの上に臨み、使徒たちが、力を受け、主の証人となること”でした。そのような祈りを、主は、お聞きくださったのです。
 これが、使徒たちの祈りでした。最高法院から釈放された使徒と、仲間たちの祈りだったのです。彼らは、このようには、祈りませんでした。「再び、捕らえられることがありませんように」とは、祈りませんでした。「今後も、罰せられることがありませんように」とも、祈らなかったのです。「釈放されたことを感謝します」とも、祈っていません。
 イエス様は、「祈るときには、こう言いなさい」と言われました。<『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国がきますように。>ルカの福音書です。開いて、確認しておきましょう。11章2節です。これは、私たちが、「主の祈り」と呼んでいるものです。私たちが、毎月、祈っているものと、言葉が少し違います。それは、二つの理由からです。一つは、翻訳の違いです。もう一つは、毎月祈っているのは、マタイの福音書と合わせたものだからです。
 では、祈るときには、まず、どうしますか?「父よ」と呼び掛けます。父なる神様が、私たちの祈りを、お聞きくださるからです。次に、「御名が、聖なるものとされますように」と祈ります。これは、型です。型ですので、実際に祈るときには、様々な言葉で祈ることになります。今日の箇所での、使徒と、仲間たちの祈りは、その一つの具体例です。
 使徒たちは、こう祈りました。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。」このように、「主よ」と呼び掛け、御名を聖なるものとしました。“聖なるもの”というのは、“私たちとは、全く異質なもの(性質の違うもの)”という意味です。主は、すべてのものを、お造りになりました。すべてのものは、主によって、造られました。ですから、お造りになった主は、造られたすべてのものとは、全く異質なもの“聖なるもの”です。さらに、使徒たちは、「主が“ヘロデとピラトの主”でもあられること」を告白し、主の御名を、さらに聖なるものとしました。
 聖霊によって、祈るときに、私たちは、その状況の中で、御名を聖なるものとすることができます。次に、「御国が来ますように」と、祈ることが教えられています。この祈りは、「新しい天、新しい地が、来ますように」「新しいエルサレムが、神様のもとから来ますように」との祈りです。
 しかし、それだけではありません。“御国”というのは、“みこころが行われること”です。ですから、マタイの福音書では、このように続いています。<みこころが天で行われるように、地でも行われますように。>使徒と仲間たちは、イエス様に教えて頂いた通りに、祈りました。「ヘロデと、ピラトが、行ったことは、すべて、主が定められていたこと(みこころ)だった」と告白します。そして、「主のみことばを大胆に語らせてください」と、つまり、「みこころを行わせてください」と祈ったのです。
 私たちは、今、どのような状況に置かれているでしょうか?今週も、色々なことがあるでしょう。そのような中で、「御名を、聖なるものとし、みこころを行わせてください」と祈りましょう。どのような状況にあっても、「私たちの主が、主であられることを告白し、みことばを、大胆に語らせてください」と願いましょう。そのような祈りを、主は、お聞きくださるのです。