:1<その夜>とあります。その夜、その日には何があったのでしょう?王妃エステルが設けた宴会がありました。その夜、です。では、“その夜”の次の日は、何がありましたか?もう一度、エステルが設けた宴会がありました。
少し、振り返ってみましょう。ペルシアでのことです。クセルクセス王は、ハマンを、誰よりも上に置きました。しかし、モルデカイは、ハマンに対して、膝もかがめず、ひれ伏そうともしません。それを見たハマンは、モルデカイの民族を、根絶やしにしようとします。ユダヤ人です。モルデカイは、自分がユダヤ人であることを、打ち明けていました。
ハマンは、王に願い、「ユダヤ人を根絶やしにせよ」との法令を発布します。それを知ったエステルは、ユダヤ人と共に、三日三晩、断食をしました。明かしてはいませんでしたが、エステルも、ユダヤ人だったからです。
三日目になり、エステルは、王のところへ行きます。それは、死を覚悟してのことでした。法令では、召されていないのに行けば、死刑だったからです。ただし、王が、金の笏を差し伸ばせば、生きながらえることができました。
エステルは、どうなりましたか?王の好意を得ます。王は、金の笏を、差し伸ばし、エステルに「何を望んでいるのか?」と尋ねたのです。エステルは、何と答えたでしょう?5章の4節から8節までを読みます。このように、エステルは、今日と、明日に、宴会を設けました。なぜすぐに、法令の(「ユダヤ人を根絶やしにせよ」との法令の)取り消しを、願わなかったのか?取り消しを願う前に、なぜ、宴会を二回(二日間)も、設けたのか?その理由は記されていません。しかし、その日の宴会の夜に、明日の宴会を前に、何が起こったのでしょう?1節です。<その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そして それは王の前で読まれた。>『記録の書、年代記』というのは、宮廷で起こったことが記録されている公文書のことです。
その中に、2節です。:2、3(読む)私たちは、すでに、この出来事を知っています。王が、エステルを、王妃としてからのことです。2章の21節から23節までです。:21~23(読む)このように、モルデカイは、知らせたのです。知らないふりをして、黙っていることはありませんでした。ビグタンと、テレシュは、宦官でした。王を、手にかけようとしていた、それほど、王の近くで仕えていた二人です。しかし、モルデカイは、知らせました。また、二人が手にかけようとしていたのは、クセルクセス王です。この王は、ユダヤ人にとっては、どのような王だったでしょう?同じ2章の5節、6節に、このようにあります。:5、6(読む)バビロンの王ネブカドネツァルは、ユダヤ人を、捕囚の民とし、捕え移しました。そののち、バビロンは陥落し、この時代には、ペルシアの王が支配していました。クセルクセス王です。宦官の二人が手にかけようとしていたのは、クセルクセス王でした。
しかし、ユダヤ人であるモルデカイは、知らせました。聞かなかったこと、見なかったこと、にはしないで、知らせたのです。モルデカイは、エルサレムではない“スサ”に住み、“ペルシアの王”の門で、善を行い、“支配されている国”で、神の民としての使命を、忠実に果たしたのです。神の義を行い、隣人を愛しました。
このモルデカイの姿は、私たちの模範でもあります。私たちも、日本の社会で、生活をしています。住んでいる地域で、今の職場で、この国で、キリストの律法に従って生きることが、私たちの使命です。このことで、モルデカイに、栄誉や、昇進が、与えられることはありませんでした。これらの出来事の後(3章の1節によると)、王が重んじ、昇進させ、誰よりも上に置いたのは、ハマンだったのです。しかし、この時に、与えられなかったことで、いつ、与えられることになったのでしょう?「ユダヤ人を、根絶やしに」との法令が、公示された後(あと)に、その実施日である「アダルの月の十三日」が来る前に、与えられたのです。