先週は、三つのことをお伝えしました。
まず第一に、宣教はイエス様が始められ完了される、ということです。1章の1節をご覧ください。:1(読む)このように、イエス様が行い始め、また教え始められたのです。では、いつ完了するのでしょう?それは、11節でした。:11(読む)宣教が完了するのは、イエス様が、またおいでになるときです。皆さん、宣教には、完了するときが来る、ということです。宣教の労苦は、いつまでも続きません、また完了しないで終わることもないのです。
第二に、イエス様の宣教は聖霊によってなされる、ということでした。2節をご覧ください。:2(読む)このように、聖霊によって命じられ、天に上(あ)げられ、御父からの聖霊を注いでくださいました。次の2章ですが、33節でこのように教えられています。:33(読む)
第三に、私たちは、何をしたら良いのか?ということでした。使徒たちは、聖霊を求めました。イエス様が、このように命じられたからです。1章にもどります。:4、5(読む)ですから、使徒たちは、待ったのです。聖霊を求めて、祈りました。14節です。:14(読む)このように、いつも心を一つにして祈っていました。私たちが、すべきことも同じです。まず、すべきことは、みことばの約束を待つということです。(みことばの約束を、です。)使徒パウロは、<御霊に満たされなさい>と命じました(エペソ゚5:18)。御父は、御霊に満たしてくださいます。ですから、私たちも、御霊の満たしを、しつこく求めましょう、ともに、いつも心を一つにして、祈りましょう、御父は良いお方ですから、必ず満たしてくださいます。
使徒たちは、14節のように祈っていました。<そのころ>と、15節に続きます。2章の1節<五旬節の日になって>ではありませんでした。このようでは、なかった、ということです。「1章の14節のように祈っていると、五旬節の日になって、皆が聖霊に満たされた」のでは、なかったのです。その前に、使徒たちは、何をしましたか?使徒職の補充をしました。ユダが離れてしまったので、マッティアが加えられました。そして、五旬節の日になって、聖霊が注がれたのです。
あらためて整理します。イエス様は、父の約束を待つようにと命じられました。ですから、使徒たちは、聖霊が与えられることを、祈り求めたのです。しかし、祈っていた使徒たちに、聖霊が注がれたのではありませんでした。祈っていた、そのころ、使徒職の補充をした使徒たち皆が、聖霊に満たされたのです。このことから、どのようなことを教えられますか?まず、「祈っていると、父の約束を待っている間に、何をすべきなのかが分かった」ということです。イエス様は、待ちなさい、と命じられました。命じられた使徒たちは、自分たちからも、積極的に、聖霊は臨まれることを、祈りました。そのころ、です。祈ることだけではない、聖霊が臨まれる前に、もう一つ、自分たちが、何をすべきなのかが、分かったのです。それが、使徒職の補充でした。
イエス様は、最初から、使徒職の補充をお命じになっていません。父の約束を待ちなさい、とだけ命じられました。その約束の通りになることを、使徒たちも自ら願い、進んで求め続けたときに、今、使徒の補充をすることが、みこころだということが分かったのです。私たちは、逆のことをします。自分たちにとって、しなければならないことがあって、そのことのために祈る、ということをします。(先に、したいことがあって、そのために、願うことを祈る。)逆です。使徒たちに学ぶならば、主からみことばをいただき、そのみことばの通りになることを、自らも願い、祈り求めます。祈っていると、その前に、しなければならないことが分かる。そのことに取り組み、終えたときに、みことばの通りになるということです。