使徒の働き5章12節~32節
「聖霊も証人」

 先週は、11節までを学びました。11節です。<そして、教会全体と、このことを>とあります。このこと、というのは、アナニヤとサッピラのことでした。アナニヤとサッピラは、サタンに心を奪われて、聖霊様を欺きました。人を、ではなく、神様を欺いたのです。使徒ペテロが、その罪を指摘すると、アナニヤは、息が絶えました。また、アナニヤの妻サッピラも、息絶えたのです。そのような出来事がありました。そして、11節です。<そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じた>のです。
 12節<さて>「教会は、どのようであったのか」、12節から、16節までに、その様子が記されています。まず、心を一つにしていた、ということです。12節の後半です。<皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。>主は、教会を一つにしてくださったのです。振り返ってみましょう。1章の14節、15節です。:14、15前半(読む)このように兄弟、姉妹は一つでした。そのような人々に、聖霊様が、臨まれたのです。そのあとも、“一つ”であることが、強調されています。2章です。44節<信者となった人々はみな一つになって>、46節<そして、毎日、心を一つにして>、47節後半<主は毎日、救われる人を加えて一つにしてくださった。>4章です。迫害されたときも、24節<これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声をあげ>ました。生活においても、32節<さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして>いました。このように、主は、教会を一つにしてくださったのです。
 一方、サタンは、一つにはさせないように働きます。アナニヤと、サッピラは、サタンに心を奪われて、聖霊様を欺きました。しかし、主は、二人をさばかれることで、教会を一つにしてくださったのです。12節の後半です。<皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。>主が、教会を、一つにしてくださいます。
 また、「他の人たちは誰も、あえて彼らの仲間に加わろうとはしなかった」ということも記されています。13節ですね。これは、アナニヤと、サッピラのことを聞いたからでしょう。一方、民は彼らを尊敬していました。13節です。:13(読む)このように、教会の仲間に加わろうとしませんでしたが、尊敬している人々がいました。では、そのような人々だけだったのか、というと14節です。:14(読む)私たちは、どちらでしょうか?
 当時の教会では、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が、人々の間で行われました。それが、実際に、どのように行われたのかが、15節、16節に記されています。:15、16(読む)このように、みな癒されたのです。皆さん、この使徒たちの姿を見て、どなたを思い浮かべますか?イエス様ですね。ルカの福音書を開いてみましょう。7章21節~23節です。:21~23(読む)使徒たちも、同じです。つまり、イエス様は、使徒たちを通して、福音を伝えられました。使徒たちに臨まれた聖霊様によって、宣教を続けられたのです。
 使徒の働きにもどります。もどりますが、2章です。:42、43(読む)このように、教会は、いつも、使徒たちの教えを守っていました。使徒たちを通して、イエス様が教えておられました。聖霊様によって、イエス様が、教えておられたのです。その証拠として、使徒たちは、イエス様と同じように、多くの不思議としるしを行っていました。
 次の3章に記されている出来事も、同じです。ここには、使徒たちが、足の不自由な人を癒したことが、記されています。イザヤ書の35章を開いてみましょう。:5、6(読む)<そのとき>というのは、4節の最後です。「神は来て、あなたがたを救われる。」ですから、イエス様が、来られた時に、イエス様は、何をなさいましたか?この預言を、成就されました。足の萎えた者を、癒されたのです。先ほど、ルカの福音書を開きました。そこに「足の不自由な者たちが歩き」とありましたね。イエス様は、そのような奇跡によって、ご自身が救い主であられることを、証しされたのです。
 使徒たちも、同じです。使徒の働きの3章にもどりましょう。:6~9(読む)このように、使徒たちも、奇蹟によって、イエス様こそ、キリストであられることを、証ししました。<ナザレのイエス・キリストの名によって>つまり、使徒たちを通して、奇蹟を行われたのは、イエス・キリストご自身だったのです。
 ですから、使徒たちにも、イエス様と、同じことが起こりました。何でしょう?迫害です。4章です。1節から3節だけを読みます。:1~3(読む)このように、イエス様が受けた迫害を、使徒たちも受け始めます。主イエスの復活を、宣べ伝えたからです。
 しかし、教会は心を一つにして、祈りました。:29、30(読む)主は、29節の祈りには、31節、このように、為してくださいました。神のことばを大胆に語りだしました。また、30節、30節の祈りには、今日の箇所です。5章の12節、そして、15節、16節と、為してくださったのです。
 そこで、起こったのが、何でしょう?迫害です。17節から記されている、二度目の迫害です。:17、18(読む)このように、大祭司たちは、使徒たちを留置場に入れました。なぜでしょう?ねたみに燃えて立ち上がり、とあります。このことでも、使徒たちは、イエス様と同じですね。主は、大祭司たちのねたみによって、十字架にかけられました。同様に、使徒たちも、ねたみによって、牢に入れられたのです。
 ところが、です。:19、20(読む)そして、21節、<彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた>のです。主の使いが遣わされたのも、使徒たちの「夜明けごろ」という熱心さも、教会の一致した祈りに、主が応えてくださったからです。。
 一方、最高法院が、召集されました。21節の続きを読みます。:21~24(読む)牢獄には、完全に鍵がかかっていて、番人たちが、戸口に立っていたにもかかわらず、なぜ、使徒たちは、いなかったのでしょう?主の使いが、牢の戸を開け、使徒たちを連れ出したからです。
 そこへ、ある人がやって来ました。:25、26(読む)使徒たちは、主の使いが言った通りに、宮の中に立って、人々を教えました。そこで、最高法院は、二人を連れて来て、再び、その中に立たせたのです。手荒なことはできませんでした、民が、使徒たちを尊敬していたからです。
 :27、28(読む)28節に、尋問した内容が、記されています。まず、前半です。「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに」ということです。いつ、厳しく命じたのでしょう?4章の18節でした。:18(読む)それなのに、ということです。このとき、ペテロと、ヨハネは、このように答えています。:19、20(読む)そこで、彼らは、21節です。<そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。>それなのに、二人は、どうしたのでしょう?5章の28節に、もどります。二人は、教えなかったどころか、むしろ、エルサレム中に、広めた(満たした)のです。
 最高法院は、「何ということだ」と、尋問しました。それに対して、使徒たちは、何と答えたでしょう?29節です。:29(読む)これは、前回の時と、同じです。確認しましょう。(もう一度、読みます。):19、20(読む)私たちも、人に従うより、神様に従うべきです。どれほど、「人に従うように」と、脅されたとしても、です。皆さんは、自分で主を見ましたか?自分で主のことばを聞きましたか?復活された主を、自分の目で見て、いのちのことばを、自分の耳で聞きましたか?私たちは、自分たちが見たことや、聞いたことを、話さないわけにはいきません。
 次に、後半です。5章の28節です。最高法院の、尋問の後半は、<そして>からです。<そして、あの人(イエス)の血の責任をわれわれに負わせようとしている。>これに対する、使徒たちの答えは、30節から32節です。:30(読む)「あなたがたが木にかけて殺したイエス」、つまり、大祭司たちには、その責任がある、ということです。しかし、ペテロたちの答えは、それだけではありません。30節を、もう一度、読みます。:30(読む)ここで、ペテロたちは、“十字架に”ではなく、“木に”と言っています。
 ユダヤ人たちは、申命記を知っていました。そこには、このように、教えられています。21章の22節、23節です。:22、23(読む)<木にかけられたもの者は神にのろわれた者だからである。>つまり、木にかけられたイエス様は、神様にのろわれた者となられた、ということです。なぜでしょう?私たちのために、です。ガラテヤ3章13節に、このように教えられています。:13(読む)<律法ののろい>というのは、「神の律法」を守らなかった、私たちに対する、「神様ののろい」のことです。イエス・キリストは、私たちのために、ご自分が、神様にのろわれた者となってくださったのです。そのようにして、私たちを、律法ののろいから、ご自分の血によって(いのちによって)贖い出してくださいました。
 私たちにも、イエス様の血(死)への責任がありました。しかし、悔い改めて、信じました。イエス様が、私たちのために、「のろわれた者」となってくださったことを、信じました。そのことで、罪の赦しが与えられたのです。
 もどりましょう。使徒の働き5章です。:30(読む)父なる神様は、イエス様を、よみがえらせました。そのことで、私たちは、イエス様ご自身には罪がなかったこと、そして、私たちの贖いが、確かであることを知るのです。:31(読む)神様は、私たち神の民を、悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、どのようなことをしてくださったのか?イエス様を、導き手、また救い主とされ、ご自分の右に上げられた、つまり、天においても地においても、全ての権威をお与えになったのです。そのようなお方が、私たちのイエス様です。:32(読む)皆さん、私たちは、「神様への悔い改めと、イエス様への信仰によって、罪の赦しが与えられた」と信じて良いのでしょうか?「イエス様が、導き手として、また救い主として、私たちを、よみがえらせてくださる」と信じて良いのでしょうか?使徒たちが、証人です。使徒たちを始め、神様が、ご自分に従う者たちに、お与えになった聖霊様も証人です。確信は、私たちにおられる聖霊様が、与えてくださるのです。