使徒の働き1章1節~14節
「イエスの宣教」

 今年も、このようにみことばをくださる主に、心より感謝いたします。また、皆さんと共に、主に従うことができることを、嬉しく思っています。今日は、この箇所から、三つのことをお伝えします。
 まず、第一に、「宣教は、イエス様が始められ、完了される」ということです。1節をご覧ください。:1(読む)このテオフィロが、どのような人物であったのかは、分かっていません。分かっていませんが、そのような個人に、(直接は)宛って書かれたのが、使徒の働きです。続いて<私は前の書で>とありますが、これは、ルカの福音書のことです。確認しておきましょう。ルカの福音書1章です。:3(読む)このように、ルカは、テオフィロに宛てて、第一部として「ルカの福音書」と、第二部として「使徒の働き」を記しました。ですから、私たちは、「ルカの福音書」と、「使徒の働き」を、一つの書の上巻・下巻のように、続きとして読めば良いということです。
 使徒の働きにもどりましょう。1節です。ルカが、前の書で(つまり、ルカの福音書で)、書き記したことは何でしょう?イエス様が、行い始め、また教え始められた、すべてのことについてでした。始めだったのです。イエス様が、始められました。始めて、どうされたのか?イエス様は、始められましたが、途中で、天に上げられてしまいます。どうなるのでしょう?途中で終わってしまうのか?それとも、別の形で、続くのか?もちろん、イエス様は、別の形で続けられ、完了されます。それが、どのような形であるのかは、二つ目のこととしてお伝えします。
 ですので、今は、置いておいて、引き続き、「宣教は、イエス様が始められ、完了される」というテーマで続けます。宣教は、イエス様が、始められ、完了されます。その計画も、イエス様が、立てられました。8節に、示されています。:8(読む)「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで」というのが、イエス様のご計画です。イエス様は、このご計画の通りに、宣教を継続されます。これから、読み進めて行きますが、2章から7章までが、エルサレムの宣教、8章、9章で、ユダヤとサマリアの宣教、10章から28章までが、ローマまでの宣教です。
 その後も、イエス様は、宣教を続けておられます。その中に、日本の宣教もある、ということです。イエス様は、ここ日本でも、行い続け、また教え続けておられるのです。行いと、教えです。3節をご覧ください。ここに、イエス様の行いと、教えが、具体的に記されています。その行いは、何でしょう?十字架の死と、復活です。<苦しみを受けた>というのは、十字架の死のことです。そのあと、<ご自分が生きていることを>とありますが、これは復活のことです。では、その教えとは、何でしょう?神の国のこと、です。神の国については、この使徒の働きでも教えられていますので、私たちも、これから学ぶことができます。
 では、イエス様の宣教は、いつ完了するのでしょう?11節をご覧ください。:11(読む)また、おいでになり、完了です。このように、宣教は、イエス様が始められ、イエス様が完了されるのです。
 では、それは、どのようになされるのでしょう?それが、お伝えしたい第二のことです。「聖霊によって」、イエス様の宣教は、「聖霊によって」なされます。まず、2節をご覧ください。:2(読む)ここに、「聖霊によって」とあります。聖霊によったのは、“使徒たちへの命令”だけではありません。マリアは、聖霊によって、イエス様を身ごもりました。イエス様は、成長され、ヨハネのバプテスマを受けられましたが、そのときに、聖霊が降って来られました。イエス様は、聖霊に満たされます。
 ルカの福音書を見てみましょう。4章です。:1(読む)聖霊と、御霊は、同じです。このように、荒野に導かれ、2節<四十日間、悪魔の試みを受けられた>のも、御霊によって、です。さらに、14節、15節をご覧ください。:14、15(読む)このように、イエス様は、御霊の力を帯びて、教えられたのです。また、聖霊によることは、預言の成就でもありました。:17~21(読む)ですから、あらためて18節の1行目をご覧ください。「主の霊がわたしの上にある。」この“わたし”とは、どなたですか?イエス様です。このように、イエス様の行いと教えは、(その宣教は)聖霊によったのです。
 では、昇天後です。昇天後は、どのようにされたのでしょう?あらかじめ、イエス様は、このように言われました。今度は、ヨハネの福音書です。16章の7節です。:7(読む)イエス様は、天に上げられました。それは、御父のもとから、助け主(つまり御霊)をお遣わしになるためだったのです。
 ですから、イエス様は、このように命じられました。使徒の働きにもどりましょう。1章の4節、5節です。1:4、5(読む)ここで、父の約束と言われているのは、聖霊が、“御父から出る真理の御霊”だからです。イエス様は、聖霊によって、宣教を始められました。さらに、昇天後は、使徒たちに、聖霊を遣わし、証人とすることで、宣教を継続されたのです。宣教は、こんにちも、聖霊によってなされています。
 では、最後です。宣教は、イエス様が始められ、完了される、その宣教は、聖霊によってなされる、のであれば、私たちは何をしたら良いのでしょう?それが、第三のことです。使徒たちは、どうしたでしょう?10節、11節です。:10、11(読む)このように、イエス様が、上って行かれた時には、そのまま、天を見上げて立っていたので、戒められました。しかし、そのことを戒められ、再臨の約束を、聞かされると、12節<そこで>、天を見上げることをやめて、ともに、いつも心を一つにして祈っていたのです。
 4節には、イエス様の命じられたことが、記されています。:4(読む)使徒たちは、待ちました。祈って、待ったのです。では、なぜ、普段の生活を続けながら、待ったのではなく、ともに、いつも心を一つにして祈りながら、待ったのでしょう?このようなみことばが、あります。ルカの福音書11章です。:5~13(読む)まず、5節から8節です。このお話で、イエス様が、教えておられるのは、“しつこさ”です。:8(読む)<しつこさのゆえ>9節<ですから、あなたがたに言います。(しつこく)求めなさい。そうすれば与えられます。(しつこく)探しなさい。そうすれば見出します。(しつこく)たたきなさい。そうすれば開かれます。天の父は、私たちの“しつこさのゆえ”に、聖霊を与えてくださいます。10節<だれでも>です。友だちではなくても、だれでも、しつこさのゆえに、与えられるのです。
 ただ、11節から、教えられていることは、天の父は、私たち父親とは違い、良いいお方だ、ということです。:13(読む)天の父は、良いお方です。ですから、ご自分に祈り求める者たちに、聖霊を与えてくださるのです。魚や、卵も、良いものです。しかし、聖霊は、天の父だけが与えてくださる“良いお方”です。使徒たちは、聖霊が臨めば、証人としての力を、受けることができました。聖霊が臨まれなければ、その力は、ありません。ですから、しつこく、天の父が、良いお方だと信じて、聖霊が臨まれるまで、祈り続けたのです。
 主の宣教において、私たちが、すべきことも同じです。聖霊は、私たちを、満たそうとしておられます。しかし、求めないならば、聖霊は、私たちを、満たされることはありません。そのような、私たちでは、証人としての力は、ないのです。ですから、ともに、いつも心を一つにして、聖霊の満たしを、祈り求めましょう。そのように、祈ることができることも、イエス様の行いと教えによることです。使徒の働きに、もどりましょう。13節、14節には、どのような人たちが、いたのかが、記されています。13節には、ペテロがいます。およそ一ヶ月半前に、主を裏切ったペテロです。また、ピリポとトマス、他の弟子たちが、主の復活を知らせた時に、「決して信じません」と言ったのは、トマスです。また、14節を見ると、イエスの母マリアがいます。およびイエスの兄弟たちもいます。兄弟たちは、主が復活されてから、信じたようです。それまでは、敬うこと はありませんでした。このような人々が、ともに、いつも、心を一つにして、祈っていたこと自体が、イエス様の宣教の実でもあるのです。私たちも、同じです。ですから、今年は、ますます、ともに祈りましょう。何をするにしても、先ず、心を一つにして、聖霊の満たしを求めましょう。証人としての力をいただいて、主の宣教に用いていただきましょう!