19節をご覧ください。まず、問われることは、「私たちは、神の御前に、心安らかでいたいか?」ということです。皆さん、どうでしょう?もし質問が、単に「心安らかでいたいですか?」ということであれば、おそらく、クリスチャンである、なしに関わらず、多くの人々が「心安らかでいたい」と答えるでしょう。しかし、ここでは、“神の御前に”です。
まず、私たちが、知るべきことがあります。それは、心の安らぎは、神の御前にある、ということです。世にも、世にあるものにも、ありません。心の安らぎは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢には、ないのです。確認しましょう。心の安らぎは、どこにあるのですか?神の御前に、です。
では、どうしたら、神の御前に、心安らかでいられるのでしょう?19節には、このようにあります。<私たちは自分が真理に属していることを知り>とあります。私たちは、自分が真理に属していることを知れば、神の御前に、心安らかでいられます。私たちは、どちらでしょう?真理に属していますか?それとも、偽りに属していますか?真理に属している、つまり、真理である神から出て、“神の子ども”とされている、そのことを、知っているならば、私たちは、神の御前に、心安らかでいられます。逆に、知らなければ、或いは、真理に属しているという確信がなければ、私たちは、神の御前に、心安らかではいられません。
では、どうしたら、知ることができるでしょう?19節<そうすることによって>とあります。そうすること、というのは、すぐ前の18節に、勧められていることです。読みます。<子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。>愛することによって、私たちは、自分が真理に属していることを知ることができます。神の子どもとされていることを知るのです。
3章の1節には、このようなみことばがありました。:1(読む)事実、私たちは神の子どもです。しかし、私たちの中には、このことを知らずに、或いは、確信を持てずに、神の御前に心安らかではない、という人々もいるでしょう。確認します。どうしたら良いですか?愛することによって、です。愛することによって、私たちは、自分が真理に属している、神の子どもとされている、ということを知るのです。